第五章・いのちの時代 連載第百四十三話 その日の電話

時を、少しだけ戻したい。あの正面玄関の光景の、その前の日のことである。
何日か前から、先生は食事ができていなかった。下顎呼吸が見られるようになっていた。介護の現場に長くいた者には、それが何を意味するかが分かる。近いうちに通知が来るのだと、彼は覚悟していた。
こういう時の電話は、心臓に悪い。
妻のときも、そうであった。電話が鳴るたびに、悪い知らせではないのかと、びくびくしながら受話器を取る。取るまでのわずかな時間が、ひどく長い。鳴っているあいだじゅう、身体のどこかが縮こまっている。そして違う用件であれば、そのことにほっとして、そのほっとした自分に、また少し落ち込むのである。
覚悟しているつもりでも、覚悟などできていない。あのころ、そのことを彼は思い知った。そして今また、同じ日々の中にいた。
その日は、朝早かったか。それさえも、今は判然としない。ただ、一本の電話があった。
お嬢さんからであった。臨終になりそうなので、病院に来てほしい、ということだった。
思えば、青梅慶友病院には、先生の教え子が、延べ数十人は見舞いに来られただろうか。かつて多磨塾で鍛えられ、世に送り出されていった人たちである。歳月が過ぎ、それぞれの人生を歩んだ末に、恩師の枕元へ戻ってきた。
そのすべてに、彼が関わっていた。日程を調整し、先生の状態を伝え、案内をする。誰が来られたかを覚えておく。亡くなる直前までは、あたかも成年後見人のような働きを、せざるを得なかった。
家族ではない。親族でもない。法的な立場があったわけでもない。それでも、そうするよりほかになかったのである。近くにいる者が、やるしかない。介護の現場で幾度も見てきた、あの光景の中に、いつのまにか彼自身が立っていた。
血のつながりではなく、そこに居合わせた縁が、人を傍らに立たせる。夜の救急車に同乗したあの夜に思ったことを、彼はまた思うことになった。
電話を切って、彼は青梅へ向かった。その道中に何を考えていたのか、それも今となっては思い出せない。ただ、間に合ってほしいと、それだけを願っていたように思う。
歳月を経た今、振り返って、思う。覚悟をして待つ日々というものは、待っているようでいて、実は何も準備できてはいないのだと。妻のときも、先生のときも、そうであった。人は最後まで、その日を受け入れる用意などできないまま、その日を迎えるのだろう。
生かされて、今を、存在する。それでも、電話に出て、車を出して、そこへ向かうことはできる。できるのは、それだけである。そして、それだけで足りるのだと、今は思っている。
あの朝、受話器を取るまでのわずかな時間の、あの縮こまるような感覚を、今も、自分は、確かに、覚えている。
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